生理休暇が生まれたのは「日本」ということをご存知でしょうか?
生理休暇は1930年ごろから
日本の労働者たちによって要求され
1947年に労働基準法に盛り込まれた
女性労働者を保護する制度です。
1947年の労働基準法第68条
使用者は、生理日の就業が著しく困難な女子または生理に有害な業務に従事する女子が生理休暇を請求したときは、その者を就業させてはならない
明治以降、日本に近代西欧医学が移入してきました。
18世紀末の西欧で生まれた医学研究は
月経を一種の「病気」ととらえ
女性は月経周期をもつがゆえに「病人」であり
重労働に耐えられない、と考えられていました。
この考えは明治期の洋行帰りの医学者により日本に紹介されます。
アメリカや西欧では、
月経は病気であるという考えから、
医者が月経現象を「労働に影響を及ぼすほどの病気」
と認めれば、
労働者は元から与えられていた
「病気休暇」を充てて休みを取得しました。
ジュール・ミジュレ(西欧)
女は月経周期を持つがゆえに病人であると断定
ヘンリー・モーズリー(西欧)
女は月の1/4病気状態でハードワークに不適
責任のある仕事にはつけない
ロバート・T・ブランクDr(アメリカ)
PMT(月経前緊張症)が重い場合には1日か2日、労働者を休養させる必要がある
一方、日本では
西欧や日本社会に「月経(女性)は病気」という
過剰な考え方が根付いていたにも関わらず、
病気であろうとなかろうと
労働者本人の申請のみで休暇をとれる制度として誕生しました。
(略)その手続きを複雑にすると、この制度の趣旨が抹殺されることになるから、原則として特別の証明がなくても女性労働者の請求があった場合にはこれを与えることにし、(略)例えば同僚の証言程度の簡単な証明によらしめて・・・(昭和23・5・5基発682)
*労働省による生理休暇の解説文
この制度成立の背景には、
日本がたどった近代化において、
政府や医学研究が女性の生理現象を
医療によって合理的に管理しようとしたのに対し
当時の女性たちが医療漬けにされることを拒み抵抗し
そこに敗戦という状況がうまく働いた経緯があります。
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